2024/07/07 (Sun) 09:51
形のないサービスや物として残らないコトこそが人の心を満たしてくれるという考えがあります。
時に食事をちょっとしたイベントのように楽しむことは、形のないサービスをお手軽に実現してくれ、ひいては人生そのものの楽しみに繋がることでしょう。
大人である私たちは、長いこと所有と喪失を繰り返してきた中で大事なモノは形(物)として存在するものではなく、人との出会いや、他人を思いやる気持ちなど、欲しがって得られるものではないことに気付くことがあります。
これを食事に当てはめるならば、食にまつわるエピソードやそのために施された特別な空間、そして味とともに得られる幸福感などでしょう。
私たちは、食べることが質素に習慣化しているせいで価値のある食を追い求める機会というものに鈍感になり興味を失いがちではないでしょうか。
食事は、場所によっては食べ物だけじゃなくて雰囲気も味わえます。
特にプライベートな時間では食事をするための空間をもっと重要視したほうが良いかもしれません。
時には、そのためだけに本気で歩き回ることがあっても良いと思います。義務的に要求される場面ではないので、そうした楽しみ方とはつい疎遠になってしまうことも少なくないことでしょう。
胃袋だけじゃない、五感をも満たしてくれるような言わば気持ちの満腹を目指してみましょう。
いつしか気が付くと飽食の時代に「グルメ」という言葉は安すぎでした。
若さが残っていてプライドが高ければ、その辺にゴロゴロ転がってるグルメ志向などというものに見向きしたがることもなく、逆に興味がある人でも人並みすぎる価値観にも感じてすぐに飽きてしまうかもしれません。
もし、そのことに気づいたなら今一度本気になって自分なりに価値のある食を追ってみてはどうでしょう。
難しく考えず、口コミの店や流行りのメニューを扱っている店に出向くなり、あるいは、ウェブや雑誌の特集などを軽く覗いてみるだけでも良いでしょう。
ありきたりに思える食の情報にも、自分なりに興味を持ち特別な時の流れを感じられそうな場の雰囲気とともに未知の味に出会えそうな期待感などを感じ、結果的にその全てに満ち足りることがでれば、それは大人を満足させてくれる要素の一つになるのことでしょう。
習慣的に定期に特別な時間を設けて食の楽しみに焦点を当てようとすると、いくつかの課題が生じることがあります。
その中の一つに、普段の食事をどのレベルで維持するかというのが上げられます。
自分なりに時間と機会を設け特別な料理を食べるのは良いですが、普段の食事もそれなりに美味しいものを食べ続けていると食費が増えたり体重が増加してしまうことにもなりかねません。
この辺は、普段の食事は出来るだけ質素に済ませ、少し奮発した美味しい食事は計画的にいただくといったメリハリを持たせることで解決が可能かと思われます。
例えるなら、普段の日常的な食事は健康を意識し中身を質素なもにした「守りの食事」。そして、メニューに拘りをもち計画的に楽しむ食事を「攻めの食事」といったように位置づけ、守りの食事と攻めの食事とでバランスを保つことに意識を向けるといった感じです。
こうした「守りの食と攻めの食」それぞれにメリハリを持たせバランスをとることさえ楽しむことができたら、生活の中で心地よいリズムを掴むきっかけにも繋がることでしょう。