食の話題を楽しく提供できてこそ一人前の男

その日食べた美味しいものをSNSなどを通じて誰かに伝えることは珍しいことではないと思います。

多くの人が気軽に食の楽しみを発信するこの行為は、時代がもたらした新しい文化と言っても大袈裟ではないことでしょう。

食事の楽しさを人へ伝えられる喜び

私たちの生活にとって食事はかかせないものですが、美味しい物を食べた後にはその喜びを誰かに伝えたくなるものです。

Web上では飲食店の情報が溢れ、メディアが扱う旅の旨いもの特集や食ネタを扱うバラエティ番組などはお茶の間の人気番組に君臨する時代です。自らも日常の食の話題を楽しく人に伝えられたなら、閲覧者がごく少数であろうと発信する者にとっては有意義な事であり、満足できる瞬間でもあると思います。

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己の食卓をネットで情報発信することにつきまとうジレンマ

このように、食に関する情報を自ら多く発したいものですが、インターネットにはすでに優秀な食に関する情報が溢れていて、自分のサイトに来てもらうのは難しい様子です。

大手の情報サイトが掲載する記事はとても対抗できるものではなくて、自分の発した情報はすぐどこかへ埋もれてしまいそうで、そう考えた場合、ターゲットとする少数の閲覧者のアクセスを掴む素人なりの小さな努力が必要なようです。

数や力で対抗できないものに力んでも無駄です。無理のないチョトしたユーモアやアクセントを盛り込みながら手探りをするしかありません。

平穏な日常をいかにオモシロ可笑しく表現できるかはその場面の捉え方による

モノの本によれば、実際に幸せで有ることよりそのことを実感できるかどうかが大事なのだそうです。
理解できなくはないですが非常に難しい話ですね。

隣の芝生がリアルに青々としていたなら、それをもって自分がどう感じるかをいちいちコントロールする術を身に着けでもしないない限り、自分の家の庭も素敵な庭だと笑顔を振りまくことは難しいでしょう。

ただし、これを我が家の食事で考えるならば、隣のというか比較対象として意識してしまうような、よその家の晩御飯は悠然と目の前に現れたりはしなくて、当然それによって卑屈になる機会はありません。

つまり、自分の毎日の食事がどんなに質素だろうが、貧相に見えようが、自分なりに好評価をし人へ伝えることは容易いことだと思うのです。
それによって、多少なりの幸福感あるいは、それに近い何かを獲得する事ができるならば、我が家における日々の食卓は幸福感を感じる為のトレーニングとしての意味を多少なりとも持つのかもしれません。

食の話題に限らず私生活を楽しく演出できる機会を大事にする

出された食事は旨いと言って食べ尽すのが礼儀だと思っています。古風な考えかもしれませんが、もともと嫌いな食べ物が少ないから、そう言い切れるのかもしれません。

食べ方がもたらす人としての印象

もし、食事のたびに何の感情も出さず、うつむきながら美味そうな表情を一切見せない男がいたなら、その男は他人が見てどんな印象を持たれるでしょうか?
元気のない男として扱われ、とても満たされた日常を送ってるようには見えないことでしょう。

この場合、いちいち他人の目を気にしないという考えを適用する場面とは少し違うように思いますし、そもそも美味しいものを美味しい表情で食べることに労力は要しません。

その場を楽しく演出することを楽しむ

メディアが扱う美味しい物の番組に対して視聴者が求めているものは何かを考えてみると、視聴者が求めるのは食に関する情報そのものであるとともに、出演者が伝える食に対しての楽しみ方が少なからずあると思います。

私達、一般人が私生活の中で、毎日豪華な食事を楽しむことはできませんが、いつもの晩御飯を美味しそうに楽しそうにブログの閲覧者へ伝えるのは、そう難しいことではないですし、食事の時間をおもしろ可笑しく伝えることは、僅かながらの幸せな気持ちを共有できる手段になり得るはずです。

何事も現実ばかりを直視していると精神衛生上よくありませんし、ましてや他人へ噛み砕くことなくありのままを伝えるのは優しい男のすることではありません。

食事に限らず、大好きな趣味の時間など自分の体験を他人へ伝える機会があるならば、さも面白そうに楽しそうに伝えることで自分自身も充実した時間を過ごすことができることでしょう。
そして、表現者である自分もそのことに楽しさを感じらことができれば、それは一つの満たされた時間と言えるのではないでしょうか。

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