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2階席のあるコーヒー店が大好き

コーヒー店の2階席

街の中を人が行き交うのをボーッと眺めてるのが好きです。書き出しを入力中の今、朝から大根を持って歩く男を見つけました(レア物発見と言うやつ?)。
外を見ながらコーヒー


こうしていると気持ちが洗われる

ショッピングビルの上の階にテナントで入っているようなコーヒー屋に行き、窓辺の席で外を見ながらコーヒーを飲むのが私の休日の楽しみだったりします。条件を満たさない店にも行きますが、窓から外が見えたほうが嬉しいですね。
少々説明しないと勘違いされそうですが、特定の人にターゲットを絞って凝視するとかではなくて、あっさりとした人間ウォッチングといった感じです。ただ外を眺めているだけで日頃のモヤモヤしたものが洗い流されていくようで、こんなことでホッとしている自分はそれほど面倒ではない男なんだと少し安心したりもします。

他人との比較に意味がないこともない

多くの本によれば、人が幸せに生きるために必要なのは、実際に幸福になることより今の生活の中で幸福感を感じることが大事なんだそうです。言ってることは言葉としては理解できる。でもさ、どう物事を考え直せばそんな境地に到れるのか、並の人にはそちらのほうが気になりますよね。
私達は気づいたらいつの間にか大人として出来上がってしまっていて、時の流れはそんなことにはお構いナシで、価値観はどんどん変化していく。変に幸福感を認めて満足してたら、いつの間にか人並みとか常識からかけ離れていて、スカスカの人生に浸ってしまっていたとか、そんな事態が怖いのだと思うのです。
絶対的な価値観への依存がもたらしてしまった浦島太郎ですね。

自分は今この位置にいる

さっきの大根男は、朝から大根を手にぶら下げて歩いていても他人の目など気になることはなく、それよりも興味のあることは他に沢山あって、それなりに生活は豊かなのかもしれません。
ただし、私が思うのは人前に出て恥ずかしいとか惨めだと認めてしまう場面は極力少ないほうが良いということです。人は朝から大根を持って街なかを歩いたり、昼から桃持って走ったりを平気でできるよう気持ちは鍛錬されてなくて、勿論それ用に気持ちを鍛えたりはしないものですよね。
私のように、いつの間にか大人になりすぎてしまった者は他人の価値観と自分の存在との距離を確かめたいんだと思います。変に成長してしまったことで一般的なものの見方や考え方と自分の価値観を比較してギャップがありすぎないか、自分という男は世間から見てどの位置にいてその場所は本当に心地良いのか、ほんのちょっとズレてみたらもっと居心地良かったりしないか。そんなことを無意識に確かめたいんですね。
自分の現在位置が何処なのか分かれば、この先どこに行きたいのか、そこへ行くにはどうしたら良いかもわかるかもしれません。

書を読むことと町に出ることを天秤にかけない

私には何かが足りないのは承知しています。順調に子育てが済み、あるいはその課程にある大人は余暇を過ごすのに家でのんびりする時間があることでしょう。
私が、他の人の真似をして家でせっせと自己啓発本なんかに読みふけっていたなら、人並みの空気とか温度に触れることなく、人付き合いにはどんどん鈍感になって行くことになって、自分が触れるメディアでは足りない流行りだったり若者の慣性と言ったものに取り残されていってしまうでしょう。
知識や個性を磨くことと町に繰り出すことは若者にとって必要なことで意識しなくても良い常識のようなこと。私のような大人にとっても、趣味や教養に浸ることとふと立ち止まって自身を見つめることのバランスは意識的にとったほうが良いのでしょうね。
その立ち止まって見つめた自分との比較対象を探しているのが、私の人間ウォッチングなんだと思います。

そんなことを考えながら出てきた、商用ビルのメインエリアはちょうど開店の時間で私は「いらつましゃいませ」の挨拶を受けながら外へ出て来たのでした。